北川智浩の白磁と自転車

北海道の江別市で陶芸(白磁)の制作をしています。

 三度目のW杯 最終日の朝 と 初心

サッカー日韓ワールドカップで札幌シティが盛り上がっていた2002年6月。

その年の3月に家族で横浜から移り住んでいた私は

ワールドカップ や ベッカム様 どころではありませんでした。


事前に目星をつけていた土地がなかなか決まらず、

仮の仕事場で 小さな電気窯で テスト焼成を繰り返すも

満足いくものが焼けず。。。

途方に暮れていた時期がありました。



結局、3年後の2005年、落ち着いて制作することができる今の仕事場を立てることができました。


何度か記事を書いたり、当時お世話になった方にはお渡しした 


工房併設の展示場の 名前の由来 と お礼 を記した “しおり” 。



ご覧になったことがある方も多いかもしれませんが、


当時はそれから三度目のワールドカップの時季に

同じ札幌シティの百貨店さんで個展を開催させてもらえるとは。。。。



最終日、初心 と お世話になった方々への感謝の気持ちを胸に

気を引き締めて 会場でお待ちしています。




エピソードあゆ藤1

工房併設ギャラリー「あゆ藤」

北海道に移り住んで3年、工房の場所を探していましたがなかなか思うような場所が見つからず途方にくれていましたが、たくさんの方との出会い、ご縁によってようやく工房を建てることができました。

ギャラリーの名前はお世話になった方々の名前からいただきました。

独立当初、気持ちは焦れど満足のいくものが焼けず「もうつくる事を諦めようか」と思うこともありました。そんな時横浜で修業時代の後輩、斉藤あゆみ嬢が病気で亡くなりました。享年25歳。
つくりたくてもつくれない者がいる中でつくれることのありがたさ。
彼女を含めて亡くなった多くの陶工達がみても恥ずかしくないものをつくり続けようと思いました。

工房の場所がようやく決まり、建設が着々と進み、棟梁藤本さんとの打ち合わせの中で私は「ホントは古民家を移築して住むのが夢なんだ~」とたわいのない雑談のつもりで何気なくいいました。
2週間後、ギャラリーの天井に2本の古材が組み込まれていました。「倉庫にたまたまあったから」と藤本さん。
そんなことを言ったことすら忘れていた私は、その粋な計らいに感動し、同時にかつてあゆみちゃんが言っていたことを思い出しました。
「北川さん、もし北海道に行って古民家のような工房建てたら、夏の間だけ私、タッちゃんとフーちゃんの遊び相手に行ってあげますよ」
「3食つきで月給5千円ならいいぞー」

そして思えば今私達家族が住むことになったお家の元主、千葉さんは草木の好きなお方で門のところには立派な藤の木が植えてありました。藤の木は窯場建設のためお家の横に植え替えました。

その他にも多くの方とのご縁とご協力によってこのギャラリーと工房そして窯場を建てることができることができました。鳴海会長、小林部長、藤本棟梁、弟さん、若いお兄ちゃん、助っ人の大工さん、水道屋さん、ガス屋さん、クロス屋さん、電気屋さん、山梨から大事に窯を運んでくれたトラックの運転手さん、利之先生、春甫先生、大澤社長、ワイヤーたま掛けのおじさん、そして斉藤社長。
この場を借りてお礼申し上げます。
平成十八年二月吉日                 北川智浩

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  1. 2014/06/23(月) 08:16:09|
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